この作品には2回のセッションが記録されている。一つは54年6月29日のセッション、メンバーはマイルスの他、ソニー・ロリンズ(ts.)、ホレス・シルバー(p.),パーシー・ヒース(b.)、ケネス・クラーク(ds.)。もう一つは12月24日のクリスマス・セッション。この日のメンバーはマイルスの他、ミルト・ジャクソン(vib.)、セロニアス・モンク(p.)、ベースとドラムは同じ。クリスマス・セッションではマイルスとモンクがケンカしていたという根拠のない神話が垂れ流されてきた。もう信じている人はいないだろうけれど、念のため否定しておこう。マイルス・デイヴィスはセロニアス・モンクを尊敬していたのです。マイルスは『自伝』においてモンクについてこう語っている。「バードがオレをモンクに紹介してくれた。ソロの時の奴のスペースの使い方と奇妙な響きのコード進行が俺を打ちのめした。このマザーファッカーはいったい何をやっているんだ。モンクを聴いた後、奴のスペースの使い方はオレのソロの吹き方に大きな影響を与えた。」言葉遣いは丁寧とは言い難いが、マイルスがモンクを尊敬していたことは明らかだろう。Miles Davis, Autobiography, p.58.マイルスは『自伝』においてクリスマス・セッションについても語っている。「『オレがバグス・グルーヴを吹いている間は休んでいろ』とモンクに伝えた後、俺たちはケンカになりそうだったとかいう話を聞いたときはショックだった。そもそも俺たちは仲が良かったし、奴は大きくてケンカなんて考えることもできないほど強かったんだ。奴はやろうと思えば、俺をのしちまうことだってできたはずなんだ、畜生め、俺がしたことは、「オレが吹いている間、休んでいろ」と言っただけだ。俺が休んでいろと頼んだのは音楽に関係することで、友情とは関係ないんだ。」Ibid., p.80.この二回のセッションはメンバーが異なるだけでなく、その楽しみ方も異なる。マイルスとロリンズが中心となった6月のセッションは50年代前半のジャズの完成形を示している。マイルスとロリンズのコンビネーションはクリフォード・ブラウンとマックス・ローチのコンビネーションに匹敵すると言ってよいだろう。エアジンやオレオなど後にスタンダードとなる作品を素材に豪快なアドリブが楽しめる。6月のセッションに比べるとクリスマス・セッションは難易度が高い。まず、ミルト・ジャクソン作のバグス・グルーヴだが、これはブルース・スケールをなぞっただけのメロディーであり、そもそも曲と呼ぶほどのものではない。ミルト・ジャクソンがいつからバグス・グルーヴを演奏しているのか知らないが、即興的に作られたテーマだろう。スケールをなぞっているだけのメロディーなので曲としての魅力は乏しい。ここで聴くべきなのは、極めてシンプルなテーマを出発点に展開される即興だ。クリスマス・セッションに関してはセロニアス・モンクのプレイが話題にされることが多いのだが、マイルスのトランペットにも注目して欲しい。楽器を演奏できる人はマイルスのアドリブを弾いてみるといい。どうしてこのコードでこの音を吹くのだろうと不思議に思うところがあるはずだ。ボクは学生のころジャズ・サークルに所属していたことがあるのだが、同期のトランペット奏者とバグス・グルーヴにおけるマイルスのアドリブについて話したことがある。僕の友人も同じ意見で、バグス・グルーヴは単純なブルースだが、マイルスのアドリブからは学ぶことが多い、と。ボクはマイルスの本当の偉大さはこの辺りにあるのだろうと思っている。速いフレーズを吹いたり、高い音を出すことにばかりトランペットの魅力を見て、マイルス・デイヴィスはあまり上手ではないと批判する人がたまにいるが、そういう人はアドリブを聴いていないのだ。ルディ・ヴァン・ゲルダ―・リマスターについて。ボクはマイルスのソロに興味があり高校生の時からバグス・グルーヴを繰り返し聴き、マイルスのソロは隅々まで覚えていたし、ミルト・ジャクソンやモンクのソロもよく覚えていたので、ルディ・ヴァン・ゲルダ―・リマスターでも作品の印象が変わることはないだろうと高を括っていたのだが、誤りだった。もちろん、ルディ・ヴァン・ゲルダ―・リマスターでもマイルスのソロは同じだが、大きく印象が変わったのはパーシー・ヒースのベースだ。パーシー・ヒースのベースがこれほど力強かったとは今の今まで気づかなかった。